発行冊子の紹介


第72号 2013年 6月 発行

   目次
【72巻頭言】                    川越尚司
断夫山は尾張氏か②-河内へ              尾関 章
安本美典『邪馬台国への道』を読む           中村 修
壬申の乱と渡来安羅人                 渡部正路 
会員広場【小休止】
香気ある論考に接して                 白名一雄
孝謙はなぜ阿部内親王か                渡部正路
アンデス通信㉕                    市木尚利
岩波文庫新刊・東野治之校注『上宮聖徳法王帝説』雑感  半沢栄一
日本法制史学に対する誤解を避けるために        蘆田東一
 -水林彪『天皇制史論 本質・起源・展開』に触れて-
井上満郎氏講演「長岡京の謎を解く」を拝聴して     河野広文
悲濤の人・福本正夫(1)               中村 修

【巻頭言】欽明紀と日本書紀区分論           川越尚司
 私が主張する蘇我仏教倭王論と、森博達氏の『日本書紀』区分論の関係を考えた。森氏の区分論については、α群からβ群に切り替わる崇峻4年が法興元年に合致するとの故・秦政明氏指摘以外、断片的な知識しかなかったので、遅まきながら『日本書紀の謎を解く』『日本書紀成立の真実』の2冊を拝読した。そこには崇峻4年から始まるβ群は、推古紀、舒明紀まで続き、皇極紀でα群に変わるとある。ここのβ群が仏教倭王記事抹殺のための改竄とすれば、仏教倭王は聖徳太子から蘇我蝦夷に続くとの私論に合致する。しかし森氏は崇峻4年の区切りを述作者の続守言の死亡と推定し、改竄との視点は持たれていない。そこで、この箇所のβ群は改竄のためとする視点はないか確認すると、秦氏が既に本誌19号で、「『紀』の建前を貫くために、・・・書換えさせた。それが現存の崇峻4年から舒明紀までのβ群であると考えた方が事の真相に近いのではないか。」と述べているではないか。今さらながら秦氏の先取りに驚くばかりである。
 なお秦氏の記述でもう1点、法隆寺関連資料の聖徳太子の死去年に当たる推古30年は記事が欠けるとの指摘に目が止まった。私は蘇我蝦夷の即位時期に言及していなかったが、この指摘から、改竄では不足で記事全てを抹殺したこの年こそが、蘇我蝦夷の即位年の推定に相応しいと思い至った。