発行冊子の紹介


第69号 2012年9月20日発行

   目次
 【69巻頭言】
 方位データは資料になりうるか            尾関章
 「任那四県」割譲と韓国の前方後円墳         鮫島彰
 ワニ考                       野田昌夫
  会員広場【小休止】
 継体―倶に崩薨す―                 渡部正路
 アンデス通信(22)                市木尚利
【論文紹介】
 上川通夫著「ヤマト国家時代の仏教」         河越尚司
 片岡宏二『邪馬台国論争の新視点』を読む       中村修
 巻頭言補筆                     尾関 章
 御輿塚古墳 大正11年の石碑建立に関する公文書   重村英雄
【巻頭言】方位データは資料になりうるか        尾関 章
 多様な分野においてデータが問われ、集積、統計、分析され真理に迫ろうと試みられている。現在はビッグデータの時代ともいわれ、地震予知、原発事故、経済動向、そして宇宙(原子)物理学等々、挙げだせばきりがない。
 では古代史学においてはどうであろうか。70年代以降蓄積されてきた膨大な考古データが新たな地平を切り拓き、また放射性炭素や年輪データの是非が議論されている。そして統計学から記紀を解読する新視点も提起されている。
 北條芳隆氏は、『古墳時代像を見直す』(青木書店、2000年)で、従来の「基本認識」を再検討され、「資料の実態と整合する基本認識を再提示する」うえで、「帰納法的論証への回帰」の必要性を説かれている。すなわち「論」からではなく「データ」からの再構築である。しかしこれはそれを専門職としないアマチュアにとっては耳が痛く、時間的、環境的 にもきわめて困難なことといえよう。
 80年代頃、主にアマチュアの間で、「方位データ」により古代史を論じることが流行し、私もこれに加わった一人であったが、プロからは「とんでも論」の一種とされ黙殺された。地図と定規があれば容易に「発見」され、如何様にも付会できる危険性と飛躍性故であろうが、私はここ一年余の調査のなかで、資料になりうるデータではないかとの思いを強めた。